デハ1801号について

デハ1801号は、終戦直後の車両が不足していた私鉄に国鉄向けに製造されたモハ63形電車を割り当てたものの一両で、
1946年(昭和21年)に現在の小田急電鉄(当時は東急)に「デハ1801」号として入線しました。

1957年(昭和32年)に東急車輛にて国鉄ロクサンタイプの車体から小田急タイプの車体に載せ替えられ、
1979年(昭和54年)まで小田急線で活躍し、その後秩父鉄道に譲渡され1989年(平成元年)まで使われました。


秩父鉄道での廃車時は20両あった同型車の多くが解体されたましが、
この1801号は高崎市内の自動車修理工場に引き取られ事務所として使われました。


2004年(平成16年)現在の場所に牧場を建設する際、休憩所などとして使用する目的で譲り受け設置されました。

近年、車体の傷みが進んでいましたが、2012年(平成24年)7月から「デハ1801保存会」を設立し、
小田急ファンなどの手により修復を始めました。


現役時代は、特殊塗装やネームドトレインなどにもほとんど縁がなく地味な存在で、
二度の競合脱線により悪いイメージもありますが、小田急の車両大型化に貢献し、
戦後
の復興期から、高度成長期の通勤輸送を黙々と支えてきた同車は、産業遺産的な価値も高いと思われます。

本家の63形電車や、その流れをくむ国鉄101系、103系、201系などは生産両数が多かった割には保存されている車両が少なく、
ロクサン形の残党であるこの車両を残していくこ
とが大切だと考えます。

現存している1800形は、この1801号と埼玉県某所にある1851号(半車、台車なし)だけとなっています。

   

小田急18001801号の歴史

1946年(昭和21年)鉄道省(のちの国鉄) モハ63 050 として川崎車輌で製造される

1946年(昭和21年)終戦後の輸送力復興のため、運輸省より東京急行電鉄の小田原線に同型車10編成20両が割り当てられ入線

1946年(昭和21年)車体は国鉄ロクサン形そのままであったが、1800形デハ1801号としてクハ1851号と2両編成で運行開始

1947年(昭和22年)9月 同型車3編成6両が厚木線(現相模鉄道)に転属

1948年(昭和23年)6月1日 昭和19年に合併した東横電鉄、京浜電鉄、京王電軌と分離され元帝都電鉄(井の頭線)は京王に移管された

1948年(昭和23年)12月 同型車3編成6両を名古屋鉄道から購入

1953年(昭和28年)側窓の二段化、雨どい設置
            

                二段窓化後の
1806号(まにまにカレチ様所蔵写真)

1957年(昭和32年)翌年にかけて、10編成20両が東急車輛で更新修繕が行われ、今の車体に載せ替えられた。同時に戦災復興車1編成2両が加わる

1962年(昭和37年)11月より、他の一般車両と同様に、茶色一色から、黄/紺色の2色塗りに順次変更

1968年(昭和43年)翌年にかけて、制動装置のHSC化、台車改造、前照灯2灯化、種別表示新設、ATS取付、荷物棚取替、つり革変更など行われる

1968年(昭和43年)改造により、旧4000形(3両編成)と連結ができるようになり、1800×2+4000×3の5連や さらに4000形を繋いだ8両運転を開始

1969年(昭和44年)翌年にかけて、主制御装置取替、主抵抗器の変更などが行われる

1969年(昭和44年)黄色/紺色から、白に青帯の新塗装に順次変更。4000形と併結位置を新宿方から小田原方に変更

1973年(昭和48年)4000形と併結による競合脱線が2件発生し、4000形との連結を中止。1800形同士併結の4連または8連で運用される

4000形との競合脱線 1810号ほか
百合ヶ丘~柿生間(撮影:やじたか様)



4連になった昭和48年頃の1801号
(撮影:まにまにカレチ様)

1973年(昭和49年)この頃から、前面貫通扉の取替(大窓化)、自動方向幕(黒色)、電気連結器、再開閉装置、列車無線装置などの取り付けが行なわれる

1974年(昭和49年)この頃までスタンションポールが残っていたが、取り外し時期は不詳

1977年(昭和52年)630日限りで、朝方2本設定されていた1800形8連の急行が廃止
          
            堂々の8連急行                             8連急行廃止直前
               1976/12/29 成城学園前~喜多見(撮影:まにまにカレチ様) 1977/06/27 玉川学園前(撮影:クハ2551様)

1979年(昭和54年)5200形の増備により、4月から順次廃車が始まり、1801+18517/30付けで廃車となる。 廃車後、秩父鉄道に譲渡。

廃車3か月前の1801号
1979/04/14 相模大野(撮影:クハ2551様)


秩父鉄道に向けて1801×2+1802×2の甲種輸送 相武台前→小田原→新鶴見→熊谷
1979/09/03 渋沢~新松田(撮影:まにまにカレチ様) 1979/09/03 西横浜付近(撮影:まにまにカレチ様)

1979年(昭和54年)秩父鉄道では、小田急から譲り受けた1800形を800形として運行開始。塗色はブラウン系のツートンカラー
             
                秩父鉄道に入った頃の1801号(撮影:クハ2551様)

1981年(昭和56年)7月11日「1800形さよなら運転」が行われ全車両が秩父鉄道に譲渡された
          
              さよなら運転のため多摩線に回送される1809×4
                 1981/07/11 柿生~玉川学園前(撮影:まにまにカレチ様)

1981年(昭和56年)秩父鉄道では、180011編成22両を800形として使用、ただし1806+1856は部品取で廃車

1811+1861806+856となる

1985年(昭和60年)レモンイエローにマルーン帯に塗色変更
          

                 
秩父新塗装803号
                 1985年(撮影:まにまにカレチ様)

1989年(平成元年)3月から廃車が始まる。801号は群馬町(現高崎市)の秋葉車輌に引取られ事務所などに再利用。塗色がスカイブルーに白帯となる
          

1990年(平成2年)秩父鉄道800形全廃。851.855号などが倉庫として再利用、859は行田市の荒木児童公園施設として再利用(現在851号を除き解体)
           
          
荒木児童公園の1859号(秩父859号)      半車だけ現存するクハ1851号(秩父851号)
            2003/04/09(撮影:まにまにカレチ様)
      2014/01/14 場所:非公表(許可を得て撮影)

2004年(平成16年)801号が秋葉車輌から、群馬県渋川市の牧場に移動し休憩室などに利用。

2012年(平成24年)小田急ファンで「デハ1801保存会」を発足、修復作業を開始。
          

              
会員のKさん発見時のデハ1801号               修復作業に入る前の1801号
                 2011/08/17(撮影:会員K様)                  2012/07/09(撮影:まにまにカレチ様)